記憶フィルター
こんにちは。アフロ田中です。
カメラが進化して、解像度が高くなって、誰でも瞳にピントを合わせられるようになり
被写体にカメラを向けてシャッターを切るだけでとりあえず綺麗な写真が誰でも撮れるようになりました。
誰でも同じように、誰でも綺麗に撮れるようカメラが進化した結果、個性とは何かを考えさせられる時代になった気がします。
カメラの進化が個性をなくし
絶景の映えスポットに出向くことで個性をなくし
有名インスタグラマーのプリセットを購入することで個性をなくし
結果、ヘンテコな色味によって個性を演出することでなんとか個性を保つようになる。
じゃあ自分はどうなの?と。
僕は撮ったものがそもそも個性を感じられる写真であることが前提にあるべきで、レタッチ・カラーグレーディングは二の次だと思います。
感じたもの、いいなと思ったもの、見せたいものを写真に落とし込むのが”撮影”だとして
自分の記憶を写真に落とし込むことが”レタッチ・カラーグレーディング作業”かなと思うんです。
だから、レタッチは僕にとって記憶の色を可視化するための作業でしかありません。
あくまでも僕個人の考えですが。
とはいえ、二の次と言いながらも大事な作業であることに変わりありません。
そこで自分の記憶フィルターを見つめ直します。
自分の記憶フィルターと向き合えば向き合うほど
僕の記憶はザラザラしていて
淡かったり
柔らかかったり
でも時にはっきりとしていて
かつ優しい
それが今の僕の写真です。僕の記憶フィルターはいわゆるLo-Fiなんです。
2400万画素で撮る意味あるのかと思うレベルです。
なので、記憶が高画質の人は高画質なまま写真に落とし込めばいいと思うし
僕みたいに記憶が低画質な人は低画質にすればいいと思います。
記憶が低画質って、言い方がアレですけれど。
前述したように、個性をレタッチだけに頼るのではなく
撮影そのものに個性を見出せるとより写真が楽しくなるかもしれません。
写る被写体の表情や動きも撮影者の個性の一つです。
撮る人と撮られる人の距離感が写真には写ります。
それは単なる撮影距離ではなく、心の距離の話です。
そしてそれを縮めるのは撮る側のお仕事です。
僕はカメラを構えていない時にしっかり縮めておくように心がけています。
被写体がどれくらい撮影者に心を開いてるか、見る人が見ればわかるもんです。
撮影を依頼される方はカメラマンのフォロワー数ではなく、写っている人の表情をよく見て依頼されるとよろしいかと思います。
フォロワーを増やすつもりがまったくない、写真が上手な人は実はたくさんいますよ。
そして写真で食べている人ほどフォロワーを増やす気があまりない気がします。
不思議ですね。
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